今も私の書架を飾る薄茶の化粧箱に入った本、カルムイク系蒙古人、エレンジン・ダヴァエヴィッチ・ ハラ・ダワン医学博士が、1929年、ベルグラ-ドで著した『軍事的指導者としての成吉思汗とその遺産』は、その名に応しい名著である。本書は、トルベツコイ公爵が、1925年、ベルリンにて、И.Р.という匿名で出版した『成吉思汗の遺産』に啓発されたカルムイク系蒙古人の著者が、成吉思汗と蒙古民族の歴史について記したものである。
原題:『軍事的指導者としての成吉思汗とその遺産』
訳題:『成吉思汗傳』
著者:エレンジン・ダヴァエヴィッチ・ハラ・ダワン
訳者:本間七郎
原著:ベルグラ-ド 1929年発行
訳書:大連 1936年発行
以下、参考までに一部を掲げる。
世界の歴史に輝かしい幾頁を寄与した、かの天才的軍事指導家成吉思汗に興味を寄せたり、或は蒙古人の歴史に関心をもったりしたものは、ごく最近まで、ほんの小範囲の東洋研究家に限られていた。
ロシヤ歴史には蒙古時代という特別な時代があった。然るに、ロシヤのお抱え歴史家達は、これに特別な意義を認めなかった。亦この時代には、その「胎内」からモスクワ公国ロシヤが誕生したという歴史的事実があるに拘らず、この事実はロシヤ歴史のブランク時代に数えられている。この問題に関しては、何等特別な歴史的著作も出ていない。
それが最近に至って漸く、欧亜一視同仁(エウラジズム)の主義に立つ学者達が出現し、ロシヤ民族の自己認識という問題を究明し、ロシヤの歴史、文化、生活に対する東洋の影響を解剖し始め、この問題に関する「欧羅巴主義の偏見と先入主」とを幾分打破することが出来た。そしてそのことによって広範なロシヤ知識階級層をしてこの問題に関心を持たせることが出来た。これは従来の東洋研究者が絶えて為し得なかった所である。
この問題について第一に関心を寄せねばならぬ者は、東洋民族とコ-カサスの東部山麓から支那境界の北部及び西部に至る一大ステップ地域居住の遊牧民族である。
「自らを認識し、本来の自己に帰れ」ピョ-トル一世の時代から最近に至るまでロシヤで行われたヨ-ロッパ的精神文化の模倣が不成功に終わり、そしてロシヤが袋小路に迷い込んでいる今、右の言葉こそは我々がもって範とせねばならぬスロ-ガンである。
かくて次第に東洋に向けられつつある興味に答える目的から、余は、成吉思汗死後700年(1227-1927)の記念物として、本書の執筆に着手したのである。 (著者序文より)
彼が善しとして奨励したものは、誠実、忠順、勇気であり、彼が特にその部下を戒めたものは、変心、裏切、怯懦であった。こうしたことから、成吉思汗は人間を二つの型に区別した。第一の型は、物質的幸福や一身の安全を人格的価値や名誉より重しとするものであり、従ってこの種の人物は、怯懦、裏切の行為に走り易い。この種人物が上官に従う所以は、上官の権力が自分の幸福や生命を脅かすと考えるからであり、只この為にのみ、彼は力の前に屈従するのである。即ち彼は恐怖観念から自分の主人に従うものであり、これはとりもなおさず、恐怖の奴隷である。この種の人間は己が主人を裏切り、または主人を売ってまで恐怖を逃れようとする。これは、低劣な、奴隷的な卑しき性情であり、さればこそ成吉思汗は、その遠征途上、斯かる人間が自分の主人を裏切り、恩賞でも得るつもりで彼のところへやって来たような場合、無慈悲にこれを取り扱ったのである。また反対に戦が勝利を以て終わった場合、彼はたとえそれが自分の敵で、嘗て自分に不利を與え、今後も危険の恐れがあろうとも、最後まで自分の主人に忠実なりし者には、惜しみなく恩賞をとらせ且つ自分に近づけたのである。
これを別言すれば、成吉思汗がその価値を認めた人物は、名誉や人格的価値をば、物質的幸福や一身の安全より上に置いた人である。これらの人々は自分の生命や福祉を奪い去り得る人間を恐れない。彼らは人の面前ではなく、自分の内心に於て、自らを不名誉にし若しくはその人格的価値を減らす様な行為を恐れる。彼らの意識の中には、絶えず道義的法則が生きていて、彼らは何物よりも高くこれを評価し、宗教に対するが如くこれに対している。蓋し、かかる人物は、自ら宗教的であり、世界を神によって打ち立てられた秩序と解し、この秩序の中にこそあらゆるものがその義務と本分とを以て一定の位置に位していると解釈している。このような心情を持っている人は、自分の上官に対しては只の人に服従するのではなく、神の御旨によって定められた一定の階級制度に従っているのである。彼によれば、この上官はより高い位置への候補者であり、更にこのより高い上官はその上の者に統べられ、かくして最後は、久遠の蒼天の命により全人類を支配する成吉思汗にまで至ることとなる。
斯くの如く、成吉思汗はかかる階級制度を基礎とし、斯かる心情を持てる人民の頭を伴侶としてその帝国を建設したのであり、彼自らは、斯かるタイプの典型的蒙古人として、その遊牧民族の中にこの種の人物を捜し求めたのである。遊牧民、即ち蒙古人は、上記の第二のタイプよりももっと優れた人物を輩出した。蓋し彼らは、土着民よりも宗教的であり、且つ亦、その遊牧生活の為に固定財産を蓄積せず、それ故にこそ、これを失う恐怖から己が良心を枉げたり変えたりする誘惑に陥ることがなかったからである。遊牧民は高価なるものは総て自らの中に持っていたが、市民は反対に物質の中にあらゆる貴いものを見た。
成吉思汗は都市住民をば上記第一のタイプに属する人間となし、彼の獲得した帝国が、支那、ペルシャ等高度の文化国を含んでいたに拘らず、都市或は土着的文化に栽われた人間を高い位につけなかった。つけたとしても、これは殆ど例外的な場合であった。
これと同じ意味で成吉思汗は土着民を蔑視し、その末裔並びに全蒙古国民に対してその遊牧的生活を保守し、土着人たらんとする傾向について戒心すべきことを遺言した。而してこの遺言こそ、今以て蒙古人の遵守する所である。 (本文92-94頁より)
アントニイ府主教は書いている『ロシヤ正教はその生活信条に於て、西欧カトリシズム及び他のキリスト教的信仰よりも東洋的宗教に近い』と。教長のこの言葉に対して、尚、次の言葉を付加することが出来る。ロシヤ正教は南スラブ人の正教信仰よりも、東洋的宗教により近いと。この中にこそ、国民大衆に植えつけられた東洋的神秘主義及び宗教心が表現されている。東洋に於ては生活の中に宗教があり、宗教の中に生活がある。この中にこそ宗教の魔術的力があり、この中にこそ精神文化の力があり、この中にこそ西欧物質文化に対する東洋宗教の根本的な優位性がある。精神的燃焼の為に犠牲も苦難も敢えて厭わぬロシヤ式「求心」、「宗派主義」、「霊場詣」等々は、東洋から摂取されたのである。蓋し、西欧に於ては宗教は生活に影響せず、その信者の心臓と魂に触れない。それは物質文化によって残りなく飲み尽くされてしまうからである。かしこでは、生活は全く宗教からかけ離れ、宗教の教義は俗人のみならず僧職によっても守られていない。西欧で宗教の守られている所は何処にもない。
被征服民族と共生する蒙古人の原則の一つなる異教認容は、タタ-ルの侵入後、蒙古の上流貴族が、ロシヤ貴族に影響を与える結果を生んだ。そして後者の血管の中には、今尚少なからず蒙古人の血が流れているのである。金オルダ国の滅亡後、モスクワ皇帝に奉仕するようになったタタ-ルの名士の一人、ボリス・ゴドノフは、皇帝の位まで登ったが、これを恐れる理由は何処にもない。地上には純粋な血統を持ったネ-ションなるものはあり得ず、若しこうしたものがあったにしても、これは生物学の一般的法則に従って退化せねばならぬ。蒙古人の侵入は、蒙古人の血の一定率をばロシヤ人の血に注ぎ込んだに違いない。(これは上流階級にのみ起こった現象ではあるまい。)またロシヤ人の血が蒙古人の血に混じったに違いない。その結果として、蒙古化せるロシヤ人とロシヤ化せる蒙古人を我々は見るのである。 (本文371-372頁より)
1991年、原著がカルムイク共和国で復刊されたとの由、恩師よりご教示頂いた。喜ばしい限りである。
亦、ハロルド・レムの『全人類の帝王、成吉思汗』は、英国人の手になるが、一読の要がある。
成吉思汗をモチ-フにした著作は他にもあり、参考までに主要なものを列挙する。
トルベツコイ著 『成吉思汗の遺産、西洋よりにあらず、東洋より見たるロシヤ歴史の検討』
ヴェルナドスキ-著 『ロシヤ史概要』
ヴェルナドスキ-著 『ロシヤ歴史に於ける蒙古人の侵入』
サヴィツキ-著 『ロシヤ史に於ける地政治学的覚書』
追記
過日、別の場所でアップロードしたものです。此方に統合します。
合掌。
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