国立大学哈爾浜学院論叢第三輯(1943年)に掲載された中根氏の原稿は、ユ-ラシヤ学派のサヴィツキ-の筆になる論文「ロシヤ史に於ける地政治学的覚書」の訳稿で、巻頭に中根氏によるユ-ラシヤ主義についての概説が付されている。原著は、ヴェルナドスキ-のロシヤ史概貌の付録として、1927年、プラハで刊行されたものである。本書の中で、サヴィツキ-は、ユ-ラシヤ学派の立場からその基本概念について述べ、ロシヤ史の書き換えに着手している。斯様な論稿を紹介した中根氏の仕事は顕彰されてしかるべきであり、氏が、終戦間際のフィリピン、リンガエンでの戦闘で戦死なさったことは、本当に残念なことである。非命に倒れた中根氏の霊に心からの敬意を表する。
以下、サヴィツキーの労作『ロシヤ史の地政治学的覚書』訳文に付した中根氏の前文を一挙掲載する。
著者は、ここで、覚書の解説に代えて、ロシヤユーラシヤ主義について、実に簡潔明瞭なる記述を試みている。我が国に於ては、未だ本論稿を越えるものは存在しない。
今回のアップロードにあたって、冒頭に国立大学哈爾浜学院論叢第三輯所収論文扉の画像データを付した。亦、本文画像データには、理想日本社から刊行が予定されていた『中根錬二翻訳論集Ⅰ』の校正済抜刷を使用した。
合掌。
参考 一
Manabu Goda "The legacy of Genghis Khan and the Eurasian school"
合田學著『成吉思汗の遺産とユ-ラシヤ学派(学習院大学言語共同研究所紀要、第21号・1997)』
Saburo
Shimano(1893-1981)recognized
that the social theory of the
Eurasian school,one
of the Russian refugee scholar groups,and
that of Ikki Kita(1883-1937)are
quite similar.He
translated and published a large number of their articles as the
works of the research
department of the South Manchuria Railway Company. Among those who
read the translations were young staff members of
the Company and young officers.Though
it is almost impossible to
infer how the reading influenced them in planning the reconstruction
of the Japanese nation,the
author mentioned their rare encounter in order to lead the reader to
this historically important moment which the historical views of the
right-and-left-wingers
cannot reveal.
亡命ロシヤ人学者グル-プの一つ、ユ-ラシヤ学派の社会理論に北一輝氏との類似性を見た嶋野三郎氏 は、満鉄調査部の社務として、多数のユ-ラシヤ学派の論稿を翻訳、刊行した。その読者中には多数の若き満鉄社員、国軍の青年将校たちがいた。彼らが後に企図した国家改造運動に、この読書が如何程の影響力を持ち得たか、今は推し量る術もないが、この稀有な出会いについて、著者は記してみた。左右からの歴史観では明らかにすることの出来ないこの歴史的に重要な瞬間に、読者を導きたかったからである。
参考 二
合田學著『成吉思汗の遺産とユ-ラシヤ学派 特に、その総合的社会理論と我が国の国家改造運動をめぐる資料の紹介(上坂氏顕彰会史料出版部2000年1月1日第三版発行)』
参考 三
エレンジン・ダヴァエヴィッチ・ハラ・ダワン著 成吉思汗傳
中根錬二著 『ロシヤ史の地政治学的覚書 そのイデオロギー的背景について』