多爾世婆美。彌年爾波比多流。多麻可豆良。多延武能己許呂。和我母波奈久爾。
タニセバミ ミネニハヒタル タマカヅラ タエムノココロ ワガモハナクニ
谷狭み 峰に延ひたる 玉かづら 絶えむの心 我が思はなくに
土佐の先哲、鹿持雅澄の著した「万葉集古義」第十四巻からの引用です。
彼の遠祖は、土佐の幡多郡を領した一条家家臣、飛鳥井雅量です。
合掌。
木村秀吉氏の著作「精神文化の諸問題」に収録された「現代ロシア哲学論考」には、懐かしい名前が多数記されていた。嬉しいサプライズだった。スペクトルスキーの著作に触れた昭和初期の書籍に邂逅するなんて、幸運以外の何物でもない。有難いこと。
アップロードした頁に限っても、ノウゴロヅツエフ、アレクセ-フ等々、今、僕の書架を飾っている著者の名前が記されている。驚きだ。嬉しい先学との出逢いだった。
因みに、これら思想家は、ロシア革命に流れていった左翼の思潮とは立場を異にする人々である。
合掌。
弘道館記の拓本です。
合掌。
弘道者何。人能弘道也。道者何。天地之大経、而生民不可須臾離者也。弘道之館何為而設也。恭惟、上古神聖、立極垂統、天地位焉、万物育焉。其所以照臨六合、統御宇内者、未曾不由斯道也。宝祚以之無窮、国体以之尊厳、蒼生以之安寧、蛮夷戎狄以之率服。而聖子神孫、尚不肯自足、楽取於人以為善。乃若西土唐虞三代之治教、資以賛皇猷。於是斯道愈大愈明、而無復尚焉。中世以降、異端邪説、誣民惑世、俗儒曲学、舍此従彼、皇化陵夷、禍乱相踵、大道之不明於世、蓋亦久矣。我東照宮、撥乱反正、尊王攘夷、允武允文、以開太平之基。吾祖威公、実受封於東土、夙慕日本武尊之為人、尊神道、繕武備。義公継述、嘗発感於夷斉、更崇儒教、明倫正名、以藩屏国家。爾来百数十年、世承遺緒、沐浴恩沢、以至今日、則苟為臣子者、豈可弗思所以推弘斯道発揚先徳乎。此則館之所以為設也。抑夫祀建御雷神者何。以其亮天功於草昧、留威霊於茲土、欲原其始報其本、使民知斯道之所*来也。其営孔子廟者何。以唐虞三代之道折衷於此、欲欽其徳、資其教、使人知斯道之所以益大且明、不偶然。嗚呼我国中士民、夙夜匪懈出入斯館、奉神州之道、資本西土之教、忠孝无二、文武不岐学問事業、不殊其效、敬神崇儒、無有偏党、集衆思、宣群力、以報国家無窮之恩、則豈徒祖宗之志弗墜、神皇在天之霊、亦将降鑒焉。建斯館以統治教者誰。権中納言従三位源朝臣斉昭也。
弘道とは何ぞ。人能く道を弘むるなり。道とは何ぞ。天地の大経にして、生民の須臾も離るべからざる者なり。弘道の館は何の為にして設くるや。恭しく惟みるに、上古神聖、極を立て統を垂れたまひ、天地位し、万物育せり。其の六合に照臨し、宇内を統御したまふ所以の者は、未だ嘗て斯の道に由らずんばあらざるなり。宝祚は之を以て窮り無く、国体は之を以て尊厳に、蒼生は之を以て安寧に、蛮夷戎狄は之を以て率服せり。而して聖子神孫は、尚肯て自ら足れりとしたまはず、人に取りて以て善を為すを楽みたまふ。乃ち西土の唐虞三代の治教の若きをば、資りて以て皇猷を賛けたまふ。是に於て斯の道愈々大に愈々明にして、復た尚ふること無し。中世より以降、異端邪説は民を誣ひ世を惑はし、俗儒曲学は此を舍てゝ彼に従ひ、皇化陵夷し、禍乱相踵ぎ、大道の世に明ならざるや、蓋し亦た久し。我が東照宮は乱を撥めて正しきに反し、王を尊び、夷を攘ひ、允に武にして允に文に、以て太平の基を開けり。吾が祖の威公は実に封を東土に受け、夙に日本武尊の人となりを慕ひ、神道を尊び、武備を繕ふ。義公は継ぎ述べ、嘗て感を夷斉に発し、更に儒教を崇び、倫を明かにし名を正しうし、以て国家に藩屏たり。爾りしよりこのかた百数十年、世々遺緒を承け、恩沢に沐浴し、以て今日に至れり。則ち苟も臣子たる者、豈に斯の道を推し弘めて、先徳を発揚する所以を思はざるべけんや。此れ則ち館の設くることを為す所以なり。抑も夫の建御雷の神を祀るは何ぞや。其の天功を草昧に亮け、威霊を斯の土に留むるを以て、其の始を原ね、其の本に報ひ、民をして斯の道の由りて来る所を知らしめんと欲するなり。其の孔子の*を営むは何ぞや。唐虞三代の道、此に折衷するを以て、其の徳を欽し、其の教に資り、人をして斯の道の益々大にして且つ明なる所以は偶然ならざるを知らしめんと欲するなり。嗚呼我が国中の士民、夙夜懈らず、斯の館に出入し、神州の道を奉じ、西土の教に資り、忠孝無二、文武岐れず、学問事業其の效を殊にせず、神を敬ひ儒を崇び、偏党有ること無く、衆思を集め、群力を宣べ、以て国家無窮の恩に報ぜば、則ち豈に徒だ祖宗の志の墜ちざるのみならんや。神皇在天の霊も亦た将に降鑒したまはんとす。斯の館を設けて以て其の治教を統ぶる者は誰ぞ。権中納言従三位源朝臣斉昭なり。
藤田東湖の「
愛瓢歌」拓本、及び、高須芳次郎著「藤田東湖傳」より三葉、アップロード致します。
合掌。
瓢兮瓢兮我愛汝
汝嘗熟知顏子賢
陋巷追隨不改樂
盍以美祿延天年
天壽有命非汝力
聲名猶附驥尾傳
瓢兮瓢兮我愛汝
汝又嘗受豐公憐
金裝燦爛從軍日
一勝加一百且千
千瓢所向無勍敵
叱咤忽握四海權
瓢兮瓢兮我愛汝
悠悠時運幾變遷
亞聖至樂誰復踵
太閤雄圖何忽焉
不用獨醒吟澤畔
只合長醉伴謫仙
瓢兮瓢兮我愛汝
汝能愛酒不愧天
消息盈虚與時行
有酒危坐無酒顛
汝危坐時我未醉
汝欲顛時我欲眠
一醉一眠吾事足
世上窮通何處邊
鷲巣繁男著「呪法と変容(竹内書店1972)」、お気に入りの書冊です。学部の学生の頃、神田の古書店街を歩いていたら、この本が店頭に山積みになっていました。出版社の不良在庫として放出されていたのです。どんなに良い本も、売れないと、見切り販売されるのです。僕は、この本を紐解いて、その尋常じゃない内容に心惹かれました。幾ら安いとはいえ、二十冊買う馬鹿がいるか、僕はその馬鹿になり、数多の友人にプレゼントしたのでした。懐かしい本です。
合掌。
追記
神田の書店街を歩いていると、古書店、新刊書店とは別に、ぞっき本(見切り本)屋の存在に気付きます。ここでは、既に、古書価格が定価の数倍になっている書籍等も含め、良書が、定価の数割で売られているのです。著者も編輯者も出版社も、書籍の作成までは必死に頑張るのですが、経済の為、その後のお守りが出来なくなってしまった本が、こうした時空間に出現するのでした。換言すれば、見たことも無いような書籍が、新たな生を得ようと、読者を待っている場でもあります。この呪法と変容は、そうした書冊の一つでした。
自らも出版人として生きて参った僕の任務は、書籍の命、そして名誉を守りぬくことです。
合掌。
徳川時代は貴族趣味の時代だった。現代はこれを白眼視して、むしろ当時にあっては余計者が作ったものを、これのみが当時の文化であったと認めているのだろう。
現代になって、デモクラシーと共に、武士文化の系統は忘れられ、棄てられ、破壊された。それに反して、町人文化の系統が一椴化して、これが現代の大衆文化の様式の基礎になった。
その感覚至上主義、公共性の欠如、責任ある主体的人格の欠如、克己抑制のなさ、無形無名のうごき方などは、こういう歴史的背景から説明される部分が大きいのであろう。
竹山道雄氏の「四国にて」から、若干、引用いたしたく思います。
本論考の初出は「新潮(昭和34年11月号)」、此処では竹山道雄著作集第二巻を用いました。
テキストと画像の二種、アップロード致します。
合掌。
高松の栗林公園は大名の庭で、自然と人工をあわせて保存手入れもよく、岡山の後楽園とはくらべものにならないほど立派である。
どの角度から見てもあたらしく整った景色があらわれてくる池をめぐりながら、こんなことを考えた。
徳川時代の文化の担い手は、武士階級だった。ことに大名だった。その文化的表現は、城郭や庭園、きびしい克己抑制の道徳と作法、隠者的な文人趣味の観照生活、能、墨絵、古典的な詩文などだった。武士階級は、プラトンが要求したように、感覚的な現世的な芸術をいやしめた。それは、いわゆる人間味を排し禁じた。
武士は上にあって、noblesse oblige-高貴なる者の義務をもっていた。ところが、町人は下にあってどうせ下賎な者としてこの義務を免ぜられ、頭をもたげないかぎり何をしても大目に見られた。この制約の中で人間的表現をゆるされた。だから、それはゆたかな感覚性をもったものではあったが、ともすると歪んだ放肆なものとなった。吉原が町人文化の象徴だった。
われわれは中学校以来、徳川時代の文化の担い手は町人であったと教わり、徳川文化は吉原くさいと思っていたが、これはまちがいであるらしい。町人文化の方が代表と思われるようになったのは、町人文化の方が現代の文化の概念に親近性があるからである。浮世絵は西洋人が珍重し、西鶴は自然主義を思わせる。武士文化には現代の好みにあうような人間味がなかった。
町人文化は日蔭の花として、疚しい良心をもちながら咲いた。その限られた制約の中ではなはだ人間的だった。あまり好ましからぬ意味でも人間的だった。しかし、当時にあっては、これは表面の文化ではなかった。
徳川時代は貴族趣味の時代だった。現代はこれを白眼視して、むしろ当時にあっては余計者が作ったものを、これのみが当時の文化であったと認めているのだろう。
現代になって、デモクラシーと共に、武士文化の系統は忘れられ、棄てられ、破壊された。それに反して、町人文化の系統が一椴化して、これが現代の大衆文化の様式の基礎になった。
その感覚至上主義、公共性の欠如、責任ある主体的人格の欠如、克己抑制のなさ、無形無名のうごき方などは、こういう歴史的背景から説明される部分が大きいのであろう。
歴史のあとをたずねて、昔を再現して思いうかべて見ると、いかに近代日本が大変化をとげたかになどろかされるのである。