2016年8月20日土曜日

徳川斉昭 弘道館記

弘道館記の拓本です。
合掌。






弘道者何。人能弘道也。道者何。天地之大経、而生民不可須臾離者也。弘道之館何為而設也。恭惟、上古神聖、立極垂統、天地位焉、万物育焉。其所以照臨六合、統御宇内者、未曾不由斯道也。宝祚以之無窮、国体以之尊厳、蒼生以之安寧、蛮夷戎狄以之率服。而聖子神孫、尚不肯自足、楽取於人以為善。乃若西土唐虞三代之治教、資以賛皇猷。於是斯道愈大愈明、而無復尚焉。中世以降、異端邪説、誣民惑世、俗儒曲学、舍此従彼、皇化陵夷、禍乱相踵、大道之不明於世、蓋亦久矣。我東照宮、撥乱反正、尊王攘夷、允武允文、以開太平之基。吾祖威公、実受封於東土、夙慕日本武尊之為人、尊神道、繕武備。義公継述、嘗発感於夷斉、更崇儒教、明倫正名、以藩屏国家。爾来百数十年、世承遺緒、沐浴恩沢、以至今日、則苟為臣子者、豈可弗思所以推弘斯道発揚先徳乎。此則館之所以為設也。抑夫祀建御雷神者何。以其亮天功於草昧、留威霊於茲土、欲原其始報其本、使民知斯道之所*来也。其営孔子廟者何。以唐虞三代之道折衷於此、欲欽其徳、資其教、使人知斯道之所以益大且明、不偶然。嗚呼我国中士民、夙夜匪懈出入斯館、奉神州之道、資本西土之教、忠孝无二、文武不岐学問事業、不殊其效、敬神崇儒、無有偏党、集衆思、宣群力、以報国家無窮之恩、則豈徒祖宗之志弗墜、神皇在天之霊、亦将降鑒焉。建斯館以統治教者誰。権中納言従三位源朝臣斉昭也。

弘道とは何ぞ。人能く道を弘むるなり。道とは何ぞ。天地の大経にして、生民の須臾も離るべからざる者なり。弘道の館は何の為にして設くるや。恭しく惟みるに、上古神聖、極を立て統を垂れたまひ、天地位し、万物育せり。其の六合に照臨し、宇内を統御したまふ所以の者は、未だ嘗て斯の道に由らずんばあらざるなり。宝祚は之を以て窮り無く、国体は之を以て尊厳に、蒼生は之を以て安寧に、蛮夷戎狄は之を以て率服せり。而して聖子神孫は、尚肯て自ら足れりとしたまはず、人に取りて以て善を為すを楽みたまふ。乃ち西土の唐虞三代の治教の若きをば、資りて以て皇猷を賛けたまふ。是に於て斯の道愈々大に愈々明にして、復た尚ふること無し。中世より以降、異端邪説は民を誣ひ世を惑はし、俗儒曲学は此を舍てゝ彼に従ひ、皇化陵夷し、禍乱相踵ぎ、大道の世に明ならざるや、蓋し亦た久し。我が東照宮は乱を撥めて正しきに反し、王を尊び、夷を攘ひ、允に武にして允に文に、以て太平の基を開けり。吾が祖の威公は実に封を東土に受け、夙に日本武尊の人となりを慕ひ、神道を尊び、武備を繕ふ。義公は継ぎ述べ、嘗て感を夷斉に発し、更に儒教を崇び、倫を明かにし名を正しうし、以て国家に藩屏たり。爾りしよりこのかた百数十年、世々遺緒を承け、恩沢に沐浴し、以て今日に至れり。則ち苟も臣子たる者、豈に斯の道を推し弘めて、先徳を発揚する所以を思はざるべけんや。此れ則ち館の設くることを為す所以なり。抑も夫の建御雷の神を祀るは何ぞや。其の天功を草昧に亮け、威霊を斯の土に留むるを以て、其の始を原ね、其の本に報ひ、民をして斯の道の由りて来る所を知らしめんと欲するなり。其の孔子の*を営むは何ぞや。唐虞三代の道、此に折衷するを以て、其の徳を欽し、其の教に資り、人をして斯の道の益々大にして且つ明なる所以は偶然ならざるを知らしめんと欲するなり。嗚呼我が国中の士民、夙夜懈らず、斯の館に出入し、神州の道を奉じ、西土の教に資り、忠孝無二、文武岐れず、学問事業其の效を殊にせず、神を敬ひ儒を崇び、偏党有ること無く、衆思を集め、群力を宣べ、以て国家無窮の恩に報ぜば、則ち豈に徒だ祖宗の志の墜ちざるのみならんや。神皇在天の霊も亦た将に降鑒したまはんとす。斯の館を設けて以て其の治教を統ぶる者は誰ぞ。権中納言従三位源朝臣斉昭なり。

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