アレクセーフ著「所有と社会主義」(1928年、パリ、ユーラシヤ出版所刊)に付されたユーラシヤ出版所刊行目録によると、トルベツコイ著「西欧と人類」は、1920年に出版されている。嶋野三郎氏の翻訳が発表されたのが大正14年(1925年)のことであるから、原著の刊行から僅か五年後には、トルベツコイ侯爵の著作が、わが先達たちの机上を飾ったことになる。
本書をわが国に紹介した嶋野三郎氏(1893年生)は、石川県立第一中学校の出身である。卒業後、彼は、国内の高等教育機関へは進まず、当時の石川県第一期給費留学生として、遥かロシヤの地へと旅立った。
彼が学んだ二十世紀初頭のロシヤは、帝政から民主体制への変動期で、物質生活に於ては困難を極めた時代であった。然し、亦、精神生活に於ては、ロシヤ二十世紀ルネッサンスとも呼ばれたロシヤ精神史上、未曾有の興隆期でもあった。ソビエト体制の確立と共に終焉を迎える僅かな期間ではあったが、フランクを始め後世に名を連ねる多数のロシヤ思想家が誕生したこの時期に、嶋野氏は、ロシヤと巡り会うのである。他の日本人ロシヤ研究者が、文学或は共産主義文献の翻訳に傾倒する中で、唯一彼がロシヤ思想の翻訳紹介に努め得た素地は、彼のこの留学時代に出来たといえる。彼の翻訳作業が他のロシヤ研究者と比べ、如何に特異であるかを申し述べることにより、本書「西欧と人類」の解題とする。
OTTO BSS 氏が1961年に著した DIE LEHRE DER EURASIER は、ユ-ラシヤ学派を論じた書冊として稀有な存在である。恐らく、近年まで、西欧人(ロシヤ人を除く)によって書かれたユ-ラシヤ学派についての著作としては、殆ど唯一のものであったかもしれない。と言うのも、ユ-ラシヤ学派の提唱した理論は、西欧文明の根幹を揺るがす発想の転換を強いるもので、一般西欧人はおろか、知識層、或はマルクス主義者も含め、容易には承認出来るものではなかったであろうから。此処に自ずとユ-ラシヤ学派を生んだロシヤが 西欧とは異質の存在であることが垣間見れるような気がする。ユーラシヤ主義の論客として著名なサヴィツキー氏の論稿(中根錬二氏訳)を、以下、一部引用し、ユーラシヤ主義の紹介とする。
茲に彼等の文化観を明かにする必要がある。文化は種々の要素の結合でもなく、綜合でもない。文化 は生ける有機体であり、自己を文化の中に実現する主体の存在が前提となる。この文化の主体-文化の人格-は,凡ゆる人格と同様に生まれ、発展し、死滅する。而も生まれ出づるのは何等かの環境、何等かの文化の中に於てである。従ってその環境の有している諸要素を自己のものとし、改造し、自らを作る。これが文化主体の生成発展である。
併し乍ら我々が文化を認識せんとして、その主体を見ずに、未だ自己のものとされない建設材料-その主体を囲繞する環境及び未だ消化されない異種族の物体を見るならば、その場合には新文化を旧文化と混同し、それを旧文化の諸要素の単なる組み合わせと考えるであろう。斯くの如く外部的見地よりすれば、独立せる文化はあり得ない。「併し乍ら凡ゆる文化は独自的であり、ある絶対的に新しい独特のものとして生まれている。我々は、与えられた文化の理念或は精神と云う場合に、この事を表現するのである」。
斯かる意味に於て彼等は言っている。「我々は特別のユーラシヤ・ロシヤ文化並びにシンフオニヤ的 人格としてのその文化主体の存在を認め且つ宣言する」。そして「我々は西欧主義の本質、即ち自主性、結局に於ては我が文化の存在そのものの否定、を断固として排撃する」。
BSS 氏の著作の巻末には、氏ならではの詳細なユ-ラシヤ主義文献の目録が付されている。その中で、 氏は、トルベツコイの「西欧と人類」独逸語訳を他国語に訳されたユ-ラシヤ主義文献の唯一の事例として紹介している。もちろん、優れた著作を上程された氏のこと故、その後も新たな論文を発表なさっていることと思うが、アジア地域のみを周遊する本稿の著者は、氏の新しい著作を寡聞にして存じ上げない。為に、BSS 氏 の作業と重複する部分があるかもしれないが、後学の責務として、ここに日本に於けるユ-ラシヤ主義文献の翻訳作業について、記録する。
ユ-ラシヤ主義文献の我が国への紹介は、嶋野三郎氏訳述「西欧と人類」をもって、鏑矢とする(ここで謂う紹介とは、翻訳を伴う基礎的な作業のこと)。本書は、ユ-ラシヤ主義運動の著名な理論家であり、優れた言語学者でもあったトルベツコイ侯爵によって、1920年、ブルガリアの首都ソフィアの地で、発表されたものである。本書については、先に触れた通り、独逸語訳が存在するが、訳者は、ロシヤ人であった。 よって、外国人訳者によるロシヤ人社会外への紹介は、嶋野氏の仕事が唯一である。嶋野氏のユーラシヤ 主義文献の翻訳は、満鉄調査部及び理想日本社から、後に続々と発表されるが、その最初の発表は、行地社機関誌「日本」誌上であった。
大川周明氏、満川亀太郎氏、笠木良明氏、綾川武治氏、西田税氏、中谷武世氏そして嶋野三郎氏等が集った政治サロンとでもいうべきものに行地社があった。老荘会から猶存社を経て結成されたこの団体は、大正十四年、大川周明氏を中心に、彼の西巣鴨の自宅で創立された。社名の由来「則天行地」は、「ひとしく天に則り地に行はんとする国家革新同志の団結」の意味で、大川氏は、以下の綱領を執筆している。
維新日本建設。国民的思想の確立。精神生活に於ける自由の実現。政治生活に於ける平等の実現。経済生活に於ける友愛の実現。有色人種の解放。世界の道義的統一。
行地社同人は彼らの運動(「行地運動」と呼ばれていた)を展開する為、その機関誌の刊行を企図した。当時、東亜経済調査局に勤務し、公私に於て、大川氏を支えた笠木氏の発案になるこの雑誌は、『日本』と命名され、大正十四年の四月三日、神武天皇祭に創刊された。本誌は、その廃刊まで、長きに渡って我が国の国家革新運動を支えていく。
前記のトルベツコイ侯爵著「西欧と人類」は、嶋野氏によって、『西欧文明と人類の将来』と改題され、この月刊雑誌『日本』の第四、五、六、七、八、九、十号に連載され、後、同社の出版部より刊行されたものであった。
資本主義、社会主義(広義な意味では、どちらも西欧流の世界主義)とは別個な道を模索した大正昭和の日本知識層は、極めて限られていたが、その人々が、ロシヤ革命後、祖国を追われたロシヤ思想家の書物を繙いた事実に、「魂の同質者」という言葉を思い起こすのは、私だけであろうか。
1999年 11月18日 合田 學 記
追記
執筆にあたっては、Canon J for windowsという、謂わばcanon版のオフィスを使用していた。為に、本ブログへの転載にあたり、変換不可能な文字があったり、レイアウトが崩れたりした。為に、写真版も合わせて掲載した。
合掌。
参考
日満共福主義 (ユーラシヤ主義宣言、若しくは、ユーラシア主義宣言)
http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html
エレンジン・ダヴァエヴィッチ・ハラ・ダワン著 成吉思汗傳
http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2012/06/blog-post_08.html
中根錬二著 『ロシヤ史の地政治学的覚書 そのイデオロギー的背景について』
http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2013/02/blog-post_2455.html
N.N.アレクセ-フ (Н.Н. Алексеев)著 「ロシヤ人及びロシヤ国家」
http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html
成吉思汗の遺産とユ-ラシヤ学派
http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html
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