2014年7月24日木曜日

N.N.アレクセ-フ (Н.Н. Алексеев)著 「ロシヤ人及びロシヤ国家」

「ロシヤ人及びロシヤ国家」訳述原稿について

露国の著名な法律学者であり、ロシヤユ-ラシヤ学派の論客としても知られたN.N.アレクセ-フ博士 (Н.Н. Алексеев)によって発表された「ロシヤ人及びロシヤ国家」は、満鉄調査部の嶋野三郎氏によって 翻訳され、諸般の事情から、原著者名、訳者名を記すことなく、筆名(奥田勉)にて、菅波三郎氏の主宰せる日本文化宣揚會発行の雑誌『理想日本』昭和十八年六月号に掲載された。亦、同年八月には、『日本文化宣揚會叢書』の一冊として出版された。
今回の訳述原稿の刊行にあたっては、長期に渡って「理想日本」資料を保管された菅波トミ様(発行人菅波三郎氏御内室)、亦、これら貴重資料を菅波様より引き継がれ私に託された高畑妙子様(訳述者嶋野三郎氏第三女)の御好意を忘れることは出来ない。ここに謹んでお礼を申し述べる。
原著者の確定は米重文樹教授(東京大学文学部)の労による。米重教授より授かった多大の学恩に深甚の感謝を捧げる。
合掌。

[付記]
拙稿『成吉思汗の遺産とユ-ラシヤ学派』の内より、筆名使用の経緯について記した個所を、以下抜粋する(一部、記述に修正を施している)。
1932年、ユ-ラシヤ学派によって、プラハで発表された「ユ-ラシヤ主義宣言」は、満鉄調査部の嶋野三郎氏によって翻訳され、諸般の事情から、原著者名を記すことなく、訳者名にて、笠木良明氏の主宰せる大亜細亜建設社発行の雑誌『大亜細亜』の昭和八年八月、九月号に掲載された。尚、掲載にあ たっては、原題を「日満共福主義」と改めている。(本書は、嶋野三郎氏の著作及び訳述を収録した嶋野三郎著作集の第二巻として、昭和63年、30部のみ復刊された。)
上掲雑誌の刊行された昭和八年の初夏は、満州国建国、五・一五事件、国際連盟脱退等、我が国の政治が最も混沌としていた時である。多様な政治勢力が拮抗していた時代に、強力な主張をする(立場を明確にする)ことは、勇気もいり、波紋も大きかったに違いない。満州在住の亡命ロシヤ人の安全を考えれば、この訳稿にロシヤ人名を使うことは出来ない。しかし、当時の時局の収拾策として、この論文に画期的な価値を見い出していた嶋野氏は、敢えて自らの名前を使い掲載、一部軍部との対立を明確にさせて行く。結果は、ニ・ニ六事件後の弾圧へと繋がり、彼は民間人ではあるが、陸軍刑務所に六か月も収監され、後、二年に渡るフランス滞在を余儀なくされる。
これより後、自らの名前を政治的主張に使用することが憚られた嶋野氏は、多様な筆名を使用するが、彼の翻訳したユ-ラシヤ学派の論稿も、この後は、一部を除き、架空の日本人名にて刊行されることとなる。
合掌。






































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