2012年1月8日日曜日

津軽氏関係史料


「全部 愚耳旧聴記 上下 (上坂氏顕彰会所蔵)」
本書は、弘前藩士、添田儀左衛門貞俊(1639~1701年)の手によって、延宝二年(1674年)に成立したものである。内容は、弘前藩創業者、津軽為信の生涯について記したもので、換言すれば、弘前藩創業史、或は軍記と言った類のものである。
小会所蔵本は、先に電子データ化を終了し刊行した「御領内考程実記」、「信政公御意之筋聞傳集」、或は「弘前城郭図」等といった手写本類と同一書架に収められており、一連のコレクションとして収蔵されたものと思われる。今後、同書架の整理が進展すれば、今少し分かりやすい文庫となるかもしれない。
他機関所蔵本書手写本には、内閣文庫の和学講談所旧蔵本、弘前市立図書館の八木橋文庫本、岩見文庫本等がある。亦、書題を異にする同系手写本として、「津軽記」「津軽日記」といった書冊が、地元では知られているようである。
小会所蔵手写本の法量は、縦24.8cm、横17.3cm。その表紙には、薄青色の厚紙が使用され、保存状態は、良好である。
本書所蔵の経緯等、その詳細は、残念ながら小会には伝わっていない。




「信政公御意之筋聞傳集 (上坂氏顕彰会所蔵)」
本書は、小会図書収集部が所蔵する手写本の中では、かなり特異な部類に位置する書冊である。何故ならば、本書に記された内容は、遠く弘前の地を給知した津軽氏四代当主、津軽信政公に関するものだからである。本手写本は、先に電子データ化を終了し刊行した「御領内考程実記」、或は「愚耳舊聴記」、「弘前城郭図」等と同一書架に収められており、一連のコレクションとして収蔵されたものと思われる。今後、同書架の整理が進展すれば、今少し分かりやすい文庫となるかも知れない。
嘗て南部家の家臣であった大浦為信は、豊臣秀吉公の小田原攻めに参陣、秀吉公より津軽地域の給知権を得た。その後、津軽氏を名乗り、秀吉旗下の武将となる。本書に記された信政公(1646-1710年)は、その四代目にあたる江戸時代中期の津軽家当主である。本書の成立について詳細は記し得ないが、信政公の没後享保二年(1717年)に、弘前藩士、伊藤祐明(生年不明、1732年没)が、公の遺徳を忍び、執筆したとのことである。
小会所蔵手写本は、その見開きに、御日記方の朱印があり、元、弘前藩庁若しくはその関係機関に架蔵されていたものと思われ、現存する手写本の内では、善本の部類にはいる。刊行を企図した所以である。なお地元、青森県では、本書と同名の手写本が弘前市立図書館八木橋文庫に所蔵されている。亦、書名を異にする同系写本として「高岡霊社御意書」「御意書」等の諸本が知られている。
小会所蔵手写本の法量は、縦23.8cm、横16.5cm。その表紙には、薄青色の厚紙が使用され、保存状態は、良好である。
本書所蔵の経緯等、その詳細は、残念ながら小会には伝わっていない。




「津軽一統志 (青森県叢書刊行会1953年11月1日刊)
本書は、今日、初めて手にしたものである。此れより紐解いてみる。
合掌。

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