2016年12月15日木曜日

尾崎翠著 アップルパイの午後

学部の学生だった頃、神田神保町の書店街を散策するのが日課だった。そこには、新刊書籍の東京堂書店、三省堂書店、書泉グランデがあり、亦、数多の古書店、そして、ぞっき本屋があった。このぞっき本屋というのは不思議な書肆で、新刊書店の書架を飾っていたり古書肆でそれなりの評価を受けている書冊が定価の数割で販売されているのであった。勿論、新刊書籍である。上手く流通網に乗って読者の元に届くことが適わなかった不幸な本たちである。でも、その空間は、寳の山であった。尾崎翠の著した「アップルパイの午後」に出逢ったのも、そんなぞっき本屋だったのである。僕は、かなりな数を購入し、友人諸士に贈った。
合掌。


おもかげをわすれかねつゝ
こゝろかなしきときは
ひとりあゆみて
おもひを野に捨てよ

おもかけをわすれかねつゝ
こゝろくるしきときは
風とともにあゆみて
おもかげを風にあたへよ

尾崎翠著「アップルパイの午後」 巻頭言


2016年12月13日火曜日

国栖

過日、写真版にて刊行した下掛謡本から、第二十三巻に収録されている「国栖」を、全文、ご紹介申し上げる。
合掌。


下掛謡本

安永五丙申歳(1776年)、戸倉屋喜兵衛、須原屋茂兵衛により刊行された「下掛謡本」は、都合、三十冊の和装本より構成されており、その内訳は、以下の通りである。

01. 高砂、弓八幡、養老、御裳濯、絵馬。
02. 老松、白楽天、放生川、呉服、西王母。
03. 加茂、氷室、嵐山、竹生島、和布刈。
04. 難波、白髭、大社、源大夫、東方朔。
05. 玉井、金札、岩船、皇帝、道明寺。
06. 田村、八島、箙、兼平、実盛。
07. 朝長、忠度、通盛、清経、俊成忠度。
08. 頼政、敦盛、知章、経政、巴。
09. 東北、はせを、野々宮、江口、楊貴妃。
10. 湯谷、松風、井筒、采女、六浦。
11. 千寿、班女、二人静、吉野静、仏原。
12. 夕顔、半蔀、浮舟、玉葛、源氏供養。
13. 誓願寺、葛城、三輪、竜田、巻絹。
14. 羽衣、杜若、小塩、遊行柳、西行桜。
15. 春日龍神、野守、鵜飼、錦木、舟橋。
16. 小鍛冶、雷電、殺生石、鵺、鐘馗。
17. 是界、鞍馬天狗、車僧、大会、舎利。
18. 自然居士、東岸居士、花月、放下僧、藤栄。
19. 盛久、芦刈、安宅、春栄、小督。
20. 調伏曽我、元服曽我、小袖曽我、夜討曽我、禅師曽我。
21. 鸚鵡小町、関寺小町、卒都婆小町、桧垣、伯母捨。
22. 定家、木賊、景清、隅田川、雨月。
23. 石橋、望月、国栖、昭君、山姥。
24. 道成寺、葵上、黒塚、紅葉狩、船弁慶。
25. 烏頭、藤渡、阿漕、通小町、女郎花。
26. 月宮殿、邯鄲、天鼓、富士太鼓、梅枝。
27. 柏崎、百万、三井寺、桜川、篭太鼓。
28. 鉢木、七騎落、正尊、橋弁慶、熊坂。
29. 蟻通、歌古、唐船、張良、項羽。
30. 海人、当麻、絃上、融、猩々。
























2016年11月30日水曜日

長宗我部地検帳 幡多郡入野郷鹿持川村  編輯:合田學


土佐の国に優れた武将がいた。長宗我部元親候である。候は、武勇に秀でていただけでなく、実に数値に長けた武将であった。
彼が家臣に命じて編纂した長宗我部地検帳という大部の土地台帳が、今日まで伝わっている。その内、幡多郡の鹿持川という、極限られた地域の地検帳を、Canon J for Windowsを用い、表計算データ化し、ご紹介申し上げる。これほど詳細な土地台帳が、土佐全域に渡って、四百年以上前に成立していたのである。
彼の率いた土佐軍が強い分けである。
合掌。

追記
本稿は、豊臣政権の讃岐占領以降、長曽我部氏と共に土佐に移った観音寺香川氏(観音寺新左衛門)の土佐に於ける知行所の詳細を表計算化したものである。観音寺香川氏は、その知行の過半を幡多郡入野郷鹿持川村で持っていた。著者は、当該地域の模様を、「長宗我部地検帳」を元に、表計算データで再現した。
此処に公開する拙稿は、最終校正を終えていない。著者は、現在、別の案件に取り組んでおり、この作業に復帰することが適わない。取り敢えず、2012年1月24日に入力を終えたデータを、アップロード、同好の士に供したく思う。背景に赤色を施した部分は、今後、詰が必要である。
合掌。









2016年11月9日水曜日

森在久著 生花葦芽(いけばなあしのめだち)

本書、生花葦芽は、讃州生駒家家臣、田口勝左衛門尉の末裔である森在久が記したものである。田口氏が、何故、森氏に改姓したかは定かでない。ただ、田口氏は、早い時期に生駒家を離れている。生駒家に関する文書中、田口氏の名が確認されるのは、文禄五年の生駒殿願文のみである。生駒家家臣分限ノ記を始めとする種々の侍帳、或いは、讃州御国中村切高惣帳を始めとする地方知行文書には、田口氏は登場しない。特に、讃州御国中村切高惣帳の明知行にも名が無い所から判断すると、生駒家を離れたのは、藩政中期以前のようである。亦、田口氏と縁戚関係にあった矢嶋氏も同様で、矢嶋善七の名が生駒殿願文で見出せるのみである。
本書の発行者は、澁川清右衛門、柳原喜兵衛、益田源兵衛。刊行年は、寛政七年(1795年)である。

テキストの法量は、全冊共に、縦22.5cm、横15.6cm。表紙には、薄青色の和紙が使用されている。
ここでは、全四巻の内、最終の第四巻全文を、jpg画像にて、ご紹介申し上げる。尚、本書は、過日、私の主宰する上坂氏顕彰会史料出版部より、写真版にて刊行を終えている。
合掌。