2016年11月30日水曜日

長宗我部地検帳 幡多郡入野郷鹿持川村  編輯:合田學


土佐の国に優れた武将がいた。長宗我部元親候である。候は、武勇に秀でていただけでなく、実に数値に長けた武将であった。
彼が家臣に命じて編纂した長宗我部地検帳という大部の土地台帳が、今日まで伝わっている。その内、幡多郡の鹿持川という、極限られた地域の地検帳を、Canon J for Windowsを用い、表計算データ化し、ご紹介申し上げる。これほど詳細な土地台帳が、土佐全域に渡って、四百年以上前に成立していたのである。
彼の率いた土佐軍が強い分けである。
合掌。

追記
本稿は、豊臣政権の讃岐占領以降、長曽我部氏と共に土佐に移った観音寺香川氏(観音寺新左衛門)の土佐に於ける知行所の詳細を表計算化したものである。観音寺香川氏は、その知行の過半を幡多郡入野郷鹿持川村で持っていた。著者は、当該地域の模様を、「長宗我部地検帳」を元に、表計算データで再現した。
此処に公開する拙稿は、最終校正を終えていない。著者は、現在、別の案件に取り組んでおり、この作業に復帰することが適わない。取り敢えず、2012年1月24日に入力を終えたデータを、アップロード、同好の士に供したく思う。背景に赤色を施した部分は、今後、詰が必要である。
合掌。









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