2016年5月27日金曜日

С. Л. Франк Духовныя основы общества

極少数の島野三郎門下を除き、何人も、フランク博士の著作が、日本で多数翻訳刊行されていた事実に思い当たることはないであろう。
フランク博士は、島野氏にとって、ペテルブルク大学文科在学当時からの大切な恩師であった。博士は、露西亜革命後、英国への亡命を余儀なくされたが、困難な亡命生活の中でも、ロシヤユ-ラシヤ学派の優れた論客として、数多の論考を発表された。
島野三郎氏は、そうした師の著作を丹念に講読、翻訳を試み、幾つも書籍を刊行された。「社会哲学」、「マルクス主義に対する批判」、「哲学概論」等である。
合掌。




2016年5月5日木曜日

村上一郎著 撃攘

和泉守兼定を愛す人なりき死に急ぎ死にてゆきし人なりき
(土方歳三、明治二年五月戦死)

もうすぐ土方さんのご命日(明治二年五月十一日)です。
十代の頃に紐解いていた村上一郎氏の歌集「撃攘」を思い起こしました。
先に記した歌が収録されています。
合掌。





合田學編 村上一郎著作目録

東国の人びと  第一部(阿武隈郷士)  理論社                  昭和三四年三月      二八四頁
東国の人びと  第二部(天地幽明)    理論社                  昭和三四年七月      二六八頁
久保栄論                            弘文堂                  昭和三四年一二月    三一六頁
人生とは何か                        社会思想社現代教養文庫  昭和三八年三月      二四〇頁
日本のロゴス                        南北社                  昭和三八年七月      二七〇頁
明日を生きよ                        大和書房                昭和四一年一月      *未見
世界の思想家                        社会思想社現代教養文庫  昭和四一年三月      二五二頁
明治維新の精神過程                  春秋社                  昭和四一年三月      *未見
非命の維新者                        角川新書                昭和四三年六月      二五七頁
浪漫者の魂魄                        冬樹社                  昭和四四年一一月    三四九頁
北一輝論                            三一書房                昭和四五年二月      一八八頁
武蔵野断唱                          構造社                  昭和四五年一〇月    一五九頁
日本のロゴス(増補・改訂の上、再刊)国文社                  昭和四五年一一月    三〇一頁
久保栄論(補註を加え、再刊)        三一書房                昭和四五年十二月    三〇四頁
明治維新の精神過程(増補版)        春秋社                  昭和四六年四月      二九二頁
撃穰                                思潮社                  昭和四六年六月      二一五頁
志気と感傷                          国文社                  昭和四六年八月      三三二頁
草莽論                              大和書房                昭和四七年五月      二八八頁
日本軍隊論序説                      新人物往来社            昭和四八年一〇月    二一五頁
イアリンの歌                        国文社                  昭和四九年三月      三五〇頁
幕末(『非命の維新者』改題)        角川文庫                昭和四九年一一月    二四八頁
萩原朔太郎ノート                    国文社                  昭和五〇年九月      二〇三頁
割礼                                試行社                  昭和五〇年一〇月    三一六頁
振りさけ見れば                      而立書房                昭和五〇年一〇月    四五五頁
東国の人々  前編                    田畑書店                昭和五一年五月      四一九頁
東国の人々  後編                    田畑書店                昭和五一年八月      三二三頁
歌のこころ                          冬樹社                  昭和五一年八月      三〇二頁
北一輝論(三一書房版と同内容)      角川文庫                昭和五一年九月      二〇六頁
岩波茂雄                            砂子屋書房              昭和五七年二月      一〇五頁
村上一郎著作集  全十二巻            国文社                  刊行中  既刊六冊
[訳書]星はうすれゆく(K・ビヤンホフ著)  光文社          昭和三五年二月      二六四頁
[共著]現代の発見  私と戦争        春秋社                  昭和三四年一二月    二一四頁
[共著]現代の発見  戦争責任        春秋社                  昭和三五年二月      二五四頁
[共著]明治の群像  戊辰戦争        三一書房                昭和四三年一一月    二六〇頁
[共著]明治の群像  権力の素顔      三一書房                昭和四五年二月      二〇七頁
[共著]ドキュメント日本人  反逆者  學藝書林                昭和四三年一二月    三六七頁
[共著]ドキュメント日本人  支配者とその影  學藝書林        昭和四四年七月      三一七頁
[共著]転位と終末                  明治大学出版研究会      昭和四六年一月      二三八頁
[共著]戦後思想家論                現代評論社              昭和四六年七月      三〇〇頁
[共著]吉田松陰を語る              大和書房                昭和四九年一二月    二三〇頁

2015年12月9日水曜日

竹山道雄著 昭和の精神史

新潮社より、昭和31年に刊行された竹山道雄氏の「昭和の精神史」より、その冒頭部分を画像データにて、ご紹介申し上げます。併せて、第10頁の一部をテキストにて添付致します。
合掌。


歴史を解釈するときに、まずある大前提となる原理をたてて、そこから下へ下へと具体的現象の説明に及ぶ行き方は、あやまりである。歴史を、ある先験的な原理の図式的な展開として、論理の操作によってひろげてゆくことはできない。このような「上からの演繹」は、かならずまちがった結論へと導く。事実につきあたるとそれを歪めてしまう。事実をこの図式に合致したものとして理解すべく、都合のいいもののみをとりあげて都合のあるいものは棄てる。そして、「かくあるはずである。故に、かくある。もしそうでない事実があるなら、それは非科学的であるから、事実の方がまちがっている」という。
「上からの演繹」は、歴史をその根本の発生因と想定されたものにしたがって体制化すべく、さまざまの論理を縦横に駆使する。そして、かくして成立した歴史像をその論理の権威の故に正しい、とする。しかし、そこに用いられている論理は、多くの場合にはなはだ杜撰なものである。







2015年11月4日水曜日

香西頼山著 七種宝納記

讃岐香西氏探索の旅の途上、僕は、米山堂・山田清作氏が昭和二年に刊行した「未刊随筆百種」第八巻所収「七種宝納記」に出逢った。今、その一部を、画像データにて、ご紹介申し上げる。
讃岐香西氏の末裔である松江・松平家の家老、香西頼山(こうざいらいざん)は、興趣に富んだ人物であったようである。「七種宝納記(ななくさほうのうき)」を紐解き、その感を強くした。さすが、香西氏の血脈を引く人だけのことはある。
合掌。


  













参考
松江藩の御給帳から、香西頼山の名が記された箇所を、表計算データにて、図示する。
合掌。



追記
香西頼山に関しては、中村隆嗣氏が、優れた論考を記されている。
香西頼山と 『七種宝納記』

2015年9月20日日曜日

西欧文明と人類の将来 +++++ 西欧と人類 (ЕВРОПА И ЧЕЛОВЕЧЕСТВО)






 「西欧と人類」 解題

   アレクセーフ著「所有と社会主義」(1928年、パリ、ユーラシヤ出版所刊)に付されたユーラシヤ出版所刊行目録によると、トルベツコイ著「西欧と人類」は、1920年に出版されている。嶋野三郎氏の翻訳が発表されたのが大正14年(1925年)のことであるから、原著の刊行から僅か五年後には、トルベツコイ侯爵の著作が、わが先達たちの机上を飾ったことになる。
   本書をわが国に紹介した嶋野三郎氏(1893年生)は、石川県立第一中学校の出身である。卒業後、彼は、国内の高等教育機関へは進まず、当時の石川県第一期給費留学生として、遥かロシヤの地へと旅立った。
   彼が学んだ二十世紀初頭のロシヤは、帝政から民主体制への変動期で、物質生活に於ては困難を極めた時代であった。然し、亦、精神生活に於ては、ロシヤ二十世紀ルネッサンスとも呼ばれたロシヤ精神史上、未曾有の興隆期でもあった。ソビエト体制の確立と共に終焉を迎える僅かな期間ではあったが、フランクを始め後世に名を連ねる多数のロシヤ思想家が誕生したこの時期に、嶋野氏は、ロシヤと巡り会うのである。他の日本人ロシヤ研究者が、文学或は共産主義文献の翻訳に傾倒する中で、唯一彼がロシヤ思想の翻訳紹介に努め得た素地は、彼のこの留学時代に出来たといえる。彼の翻訳作業が他のロシヤ研究者と比べ、如何に特異であるかを申し述べることにより、本書「西欧と人類」の解題とする。
   OTTO BSS 氏が1961年に著した DIE LEHRE DER EURASIER は、ユ-ラシヤ学派を論じた書冊として稀有な存在である。恐らく、近年まで、西欧人(ロシヤ人を除く)によって書かれたユ-ラシヤ学派についての著作としては、殆ど唯一のものであったかもしれない。と言うのも、ユ-ラシヤ学派の提唱した理論は、西欧文明の根幹を揺るがす発想の転換を強いるもので、一般西欧人はおろか、知識層、或はマルクス主義者も含め、容易には承認出来るものではなかったであろうから。此処に自ずとユ-ラシヤ学派を生んだロシヤが 西欧とは異質の存在であることが垣間見れるような気がする。ユーラシヤ主義の論客として著名なサヴィツキー氏の論稿(中根錬二氏訳)を、以下、一部引用し、ユーラシヤ主義の紹介とする。
      茲に彼等の文化観を明かにする必要がある。文化は種々の要素の結合でもなく、綜合でもない。文化    は生ける有機体であり、自己を文化の中に実現する主体の存在が前提となる。この文化の主体-文化の人格-は,凡ゆる人格と同様に生まれ、発展し、死滅する。而も生まれ出づるのは何等かの環境、何等かの文化の中に於てである。従ってその環境の有している諸要素を自己のものとし、改造し、自らを作る。これが文化主体の生成発展である。
      併し乍ら我々が文化を認識せんとして、その主体を見ずに、未だ自己のものとされない建設材料-その主体を囲繞する環境及び未だ消化されない異種族の物体を見るならば、その場合には新文化を旧文化と混同し、それを旧文化の諸要素の単なる組み合わせと考えるであろう。斯くの如く外部的見地よりすれば、独立せる文化はあり得ない。「併し乍ら凡ゆる文化は独自的であり、ある絶対的に新しい独特のものとして生まれている。我々は、与えられた文化の理念或は精神と云う場合に、この事を表現するのである」。
      斯かる意味に於て彼等は言っている。「我々は特別のユーラシヤ・ロシヤ文化並びにシンフオニヤ的    人格としてのその文化主体の存在を認め且つ宣言する」。そして「我々は西欧主義の本質、即ち自主性、結局に於ては我が文化の存在そのものの否定、を断固として排撃する」。
   BSS 氏の著作の巻末には、氏ならではの詳細なユ-ラシヤ主義文献の目録が付されている。その中で、 氏は、トルベツコイの「西欧と人類」独逸語訳を他国語に訳されたユ-ラシヤ主義文献の唯一の事例として紹介している。もちろん、優れた著作を上程された氏のこと故、その後も新たな論文を発表なさっていることと思うが、アジア地域のみを周遊する本稿の著者は、氏の新しい著作を寡聞にして存じ上げない。為に、BSS 氏 の作業と重複する部分があるかもしれないが、後学の責務として、ここに日本に於けるユ-ラシヤ主義文献の翻訳作業について、記録する。
   ユ-ラシヤ主義文献の我が国への紹介は、嶋野三郎氏訳述「西欧と人類」をもって、鏑矢とする(ここで謂う紹介とは、翻訳を伴う基礎的な作業のこと)。本書は、ユ-ラシヤ主義運動の著名な理論家であり、優れた言語学者でもあったトルベツコイ侯爵によって、1920年、ブルガリアの首都ソフィアの地で、発表されたものである。本書については、先に触れた通り、独逸語訳が存在するが、訳者は、ロシヤ人であった。 よって、外国人訳者によるロシヤ人社会外への紹介は、嶋野氏の仕事が唯一である。嶋野氏のユーラシヤ 主義文献の翻訳は、満鉄調査部及び理想日本社から、後に続々と発表されるが、その最初の発表は、行地社機関誌「日本」誌上であった。
  大川周明氏、満川亀太郎氏、笠木良明氏、綾川武治氏、西田税氏、中谷武世氏そして嶋野三郎氏等が集った政治サロンとでもいうべきものに行地社があった。老荘会から猶存社を経て結成されたこの団体は、大正十四年、大川周明氏を中心に、彼の西巣鴨の自宅で創立された。社名の由来「則天行地」は、「ひとしく天に則り地に行はんとする国家革新同志の団結」の意味で、大川氏は、以下の綱領を執筆している。
    維新日本建設。国民的思想の確立。精神生活に於ける自由の実現。政治生活に於ける平等の実現。経済生活に於ける友愛の実現。有色人種の解放。世界の道義的統一。
  行地社同人は彼らの運動(「行地運動」と呼ばれていた)を展開する為、その機関誌の刊行を企図した。当時、東亜経済調査局に勤務し、公私に於て、大川氏を支えた笠木氏の発案になるこの雑誌は、『日本』と命名され、大正十四年の四月三日、神武天皇祭に創刊された。本誌は、その廃刊まで、長きに渡って我が国の国家革新運動を支えていく。
   前記のトルベツコイ侯爵著「西欧と人類」は、嶋野氏によって、『西欧文明と人類の将来』と改題され、この月刊雑誌『日本』の第四、五、六、七、八、九、十号に連載され、後、同社の出版部より刊行されたものであった。
   資本主義、社会主義(広義な意味では、どちらも西欧流の世界主義)とは別個な道を模索した大正昭和の日本知識層は、極めて限られていたが、その人々が、ロシヤ革命後、祖国を追われたロシヤ思想家の書物を繙いた事実に、「魂の同質者」という言葉を思い起こすのは、私だけであろうか。

                                                                                        1999年 11月18日   合田 學  記


追記
執筆にあたっては、Canon J for windowsという、謂わばcanon版のオフィスを使用していた。為に、本ブログへの転載にあたり、変換不可能な文字があったり、レイアウトが崩れたりした。為に、写真版も合わせて掲載した。
合掌。


参考
日満共福主義 (ユーラシヤ主義宣言、若しくは、ユーラシア主義宣言)
http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html

エレンジン・ダヴァエヴィッチ・ハラ・ダワン著 成吉思汗傳
http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2012/06/blog-post_08.html
中根錬二著 『ロシヤ史の地政治学的覚書 そのイデオロギー的背景について』
http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2013/02/blog-post_2455.html
N.N.アレクセ-フ (Н.Н. Алексеев)著 「ロシヤ人及びロシヤ国家」
http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html
成吉思汗の遺産とユ-ラシヤ学派 

http://japanesebibliophile.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html

2015年9月9日水曜日

天野忠幸著 戦国期三好政権の研究

先ほど、天野忠幸氏が著された「戦国期三好政権の研究」を読了した。名著である。四百数十年の時を経て、三好長慶公は、良き後継者に巡り合った。本書は、今後、人々の視点、思考に大きな影響を与えるであろう。
亦、著者の出身高校は、奇しくも、友人の母校であった。此れも、嬉しいサプライズ。震災の折のこと、特に、学校のこと、僕は、友から聴いていた。
震災から二十年、神戸の街は、天野忠幸氏のような優れた研究者を輩出し、名実共に、復興を遂げたように思う。
本書の刊行を、心から祝福したい。
合掌。


追記
以下、目次部分を、ご紹介させていただきます。
見事な構成です。本書をご紹介申し上げます所以です。
亦、この著者の記される文章は、実に滑らかで、とても読み易いのです。
是非、ご一読を。
合掌。





2014年7月24日木曜日

N.N.アレクセ-フ (Н.Н. Алексеев)著 「ロシヤ人及びロシヤ国家」

「ロシヤ人及びロシヤ国家」訳述原稿について

露国の著名な法律学者であり、ロシヤユ-ラシヤ学派の論客としても知られたN.N.アレクセ-フ博士 (Н.Н. Алексеев)によって発表された「ロシヤ人及びロシヤ国家」は、満鉄調査部の嶋野三郎氏によって 翻訳され、諸般の事情から、原著者名、訳者名を記すことなく、筆名(奥田勉)にて、菅波三郎氏の主宰せる日本文化宣揚會発行の雑誌『理想日本』昭和十八年六月号に掲載された。亦、同年八月には、『日本文化宣揚會叢書』の一冊として出版された。
今回の訳述原稿の刊行にあたっては、長期に渡って「理想日本」資料を保管された菅波トミ様(発行人菅波三郎氏御内室)、亦、これら貴重資料を菅波様より引き継がれ私に託された高畑妙子様(訳述者嶋野三郎氏第三女)の御好意を忘れることは出来ない。ここに謹んでお礼を申し述べる。
原著者の確定は米重文樹教授(東京大学文学部)の労による。米重教授より授かった多大の学恩に深甚の感謝を捧げる。
合掌。

[付記]
拙稿『成吉思汗の遺産とユ-ラシヤ学派』の内より、筆名使用の経緯について記した個所を、以下抜粋する(一部、記述に修正を施している)。
1932年、ユ-ラシヤ学派によって、プラハで発表された「ユ-ラシヤ主義宣言」は、満鉄調査部の嶋野三郎氏によって翻訳され、諸般の事情から、原著者名を記すことなく、訳者名にて、笠木良明氏の主宰せる大亜細亜建設社発行の雑誌『大亜細亜』の昭和八年八月、九月号に掲載された。尚、掲載にあ たっては、原題を「日満共福主義」と改めている。(本書は、嶋野三郎氏の著作及び訳述を収録した嶋野三郎著作集の第二巻として、昭和63年、30部のみ復刊された。)
上掲雑誌の刊行された昭和八年の初夏は、満州国建国、五・一五事件、国際連盟脱退等、我が国の政治が最も混沌としていた時である。多様な政治勢力が拮抗していた時代に、強力な主張をする(立場を明確にする)ことは、勇気もいり、波紋も大きかったに違いない。満州在住の亡命ロシヤ人の安全を考えれば、この訳稿にロシヤ人名を使うことは出来ない。しかし、当時の時局の収拾策として、この論文に画期的な価値を見い出していた嶋野氏は、敢えて自らの名前を使い掲載、一部軍部との対立を明確にさせて行く。結果は、ニ・ニ六事件後の弾圧へと繋がり、彼は民間人ではあるが、陸軍刑務所に六か月も収監され、後、二年に渡るフランス滞在を余儀なくされる。
これより後、自らの名前を政治的主張に使用することが憚られた嶋野氏は、多様な筆名を使用するが、彼の翻訳したユ-ラシヤ学派の論稿も、この後は、一部を除き、架空の日本人名にて刊行されることとなる。
合掌。